COUNT UP!

COUNT UP! ―― PERFECTに挑む、プロダーツプレイヤー列伝。
―― PERFECTに参戦するプロダーツプレーヤーは約1,700人。
彼ら彼女らは、何を求め、何を夢み、何を犠牲に戦いの場に臨んでいるのか。実力者、ソフトダーツの草創期を支えたベテラン、気鋭の新人・・・。ダーツを仕事にしたプロフェッショナルたちの、技術と人間像を追う。
2013年11月18日 更新(連載第14回)
Leg3
D to P 受け継がれたフロンティアの血脈
浅野眞弥・ゆかり

Leg3 浅野眞弥・ゆかり(4)
生きる伝説

D-CROWNがスタートした2007年の7月。浅野眞弥とゆかりは、ハワイの教会で生涯の愛を誓い合った。新郎46歳、新婦39歳。出会いから実に20年。周囲をやきもきさせたダーツ界の鴛鴦夫婦の誕生だった。

交際のきっかけやプロポーズの言葉を訊ねても、「なんか自然と」「なんとなく結婚しようと…」と、取り付く島もない。

が、2人は強い信頼関係で結ばれている。夫妻と長年切磋琢磨してきたベテランの一宮弘人は「浅野眞さんはゆかりさんにべた惚れ」と笑う。ゆかりも眞弥へのリスペクトを隠さない。プロフィールには、ライバルは「浅野眞弥」と記している。

女王対決で完勝

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浅野夫妻の結婚から5年目の2011年12月18日。千葉・幕張メッセの展示ホールは、熱気に包まれていた。

この日、ダーツファンが夢見たドリームマッチ、PERFECTとD-CROWNの最初で最後となる団体対抗戦が開催された。

決戦の舞台に立ったのは、両団体男女年間総合ランクのトップ4。PERFECTからは星野光正、山田勇樹、江口祐司、松本恵、山本麻衣らが、D-CROWNは、知野真澄、安食賢一、大内麻由美らが名を連ねた。この年、レディースD-CROWNの年間女王となったゆかりは、レディースのエース、そして、浅野眞弥はチームを束ねる総監督のような役割を果たした。

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下馬評は、男子がD-CROWN、女子はPERFECT。が、結果は予想を裏切った。男子ダブルスは1勝1敗。同シングルスはPERFECTの4連勝。他方、ダブルス2試合、シングルス3試合を戦った女子はD-CROWNが5連勝で圧倒した。

ゆかりは、3レグマッチのダブルスとシングルスで2度松本恵と対戦し、1レグも落とさず完勝。ファンが注視した女王対決で、松本を完膚なきまでに打ちのめした。

PERFECTの女王が「最も尊敬する人物」

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PERFECTを4連覇中の松本恵は、ゆかりを評し「最も尊敬する人物」と、最大限の敬意を払う。
「ゆかりさんがいたからこそ、今のダーツ界があると思います。チャーミングで誰にも優しくてスマートな振る舞い。私もゆかりさんのようになりたい」

が、その一方で、女王対決と言われることを強く意識し、対抗心を隠さない。
「対抗戦ではPERFECTの意地を見せたかったのに、負けちゃいました。だからこそ、(ゆかりさんが移籍してきたとき)絶対に負けたくないと思いました」

プライドを傷つけられた松本が、牙を研いで待ち構えている。2012年、D-CROWNの消滅によりゆかりが飛び込んだ新天地は、修羅の場だった。

輝きを取り戻した女王

PERFECT移籍後のゆかりは、精彩を欠いた。12年シーズンは、優勝はおろか決勝にも進めない。表彰台はベスト4の1度だけで、予選落ちの屈辱まで味わった。対抗戦のリベンジに燃える松本にも完敗。ゆかりもまた女王のプライドを傷つけられた。

迎えた13年シーズン。再び、ゆかりは女王の輝きを取り戻すことができるのか。周囲の雑音が大きくなりかけた第3戦北九州大会で、そのときがやってきた。

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第3戦 北九州大会 決勝 第4レグ「701」

大城 明香利(先攻)   浅野 ゆかり(後攻)
1st 2nd 3rd to go   1st 2nd 3rd to go
B S9 B 592 1R B S16 S2 633
S8 B B 484 2R B B B 483
B S16 S8 410 3R B B S19 364
B B B 260 4R S17 B B 247
S8 S18 T20 174 5R S9 S3 B 185
S20 S18 S6 130 6R B B S15 70
T5 B S15 50 7R S20 S13 T5 22
S1 D19 S1 10 8R D11 WIN
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浅野の2-1で迎えた第4レグは、振り返って浅野眞弥が「へくり合い」と評した、胆力戦となった。

ゲームは大城の先攻。第2Rに浅野が、第4Rに大城がハットトリックを打ち、to go 大城260、浅野247の僅差で迎えた第5R。浅野に2レグを奪われ後のない大城は、ブルを2本外すと3投目に勝負に出てT20にダーツをねじ込む。他方、浅野も2本はずしたが、平然とブルを攻め続けた。

第6R。大城は果敢にT20を狙うが3本外し、to go 130。3投目をミスした瞬間、「わー」と思わず声を漏らした。浅野はブルに2本入れ、ゲームは大詰めを迎える。

第7R。大城が50Pを残し、浅野の初優勝が見えた。が、to go 70の1投目をS20でアレンジした後、2投目をS13に外し、形勢は再逆転した。

迎えた第8Rに、さらなるどんでん返しが待っていた。大城はミスを連発。ブルに入れればレグカウントタイとなる1投目はS1。スローイングラインを外して、考えを整理し、アレンジのターゲットをS19としたが、ダーツは無情にもダブルへ。「あっ」と再び声を漏らした。

大詰めのシーソーゲームもここまで。最後は浅野がチャンピオンシップダーツをD11に突き刺し、D-CROWN勢初の優勝をもぎ取った。

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「むちゃ、嬉しいです。とにかく1勝したかったんです、私は」
優勝直後のインタビューで、ゆかりは新人選手のように喜びを隠さなかった。
「いつか、優勝できるかなと、思っていたんですけど、優勝できてよかった」と謙遜してみせたが、「ランキング1位の目標は持っている」と、女王の矜持も披歴した。

浅野夫妻の矜持

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浅野夫妻はどちらも、職業を問われても、ダーツプレーヤーとは答えない。長きに渡り女王と呼ばれてきたゆかりでさえ、「ダーツバーやってます、って答えるかな」と言い、ダーツのプロだという意識は希薄なのだという。

ソフトダーツにプロツアーが出来て、ダーツで生計を立てる選手も少なくなくなった。人気選手の名前を冠したバレルが販売され、大会ではファンからサインや握手を求められる。もちろん、ゆかりもその一人だ。

が、「ダーツをやっていると言うと、ダンスやってるの、と聞き返された」時代から、ダーツを続けている二人には、それが面映ゆい。

もちろん、プロ意識が希薄というのと、プロ意識が低いのとは違う。プロ意識について問うと、ゆかりは「お客さんが感動できる試合をすること」と言い、「日本代表として恥ずかしい試合をしないこと」と、答えた。

プロである以上、評価は結果で決まり、結果とは獲得賞金であろう。しかし、トッププロでさえダーツでは生活が成り立たなかった時代から、ダーツに生活を捧げてきた夫妻は、金銭のためではなく、好きで、好きだから強くなりたくて、誰にも負けたくなくて、ダーツを続けてきた。逆説的だが、それこそが、二人のプロ意識であり、矜持なのだ。

浅野眞弥は言う。「ぽっと出てきて、1、2年で消えてしまう選手を沢山見てきました。だから僕は、5年、10年第一線で戦い続ける選手を評価するし、応援してほしいと思います」

眞弥の持論と呼応するかのように、盟友の一宮はゆかりを評して語る。「ゆかりさんは生きる伝説。その佇まいを見ているだけで感動する」と。

爆発したフロンティアの血脈

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固い絆に結ばれたD-CROWN勢は、ゆかりの優勝を機に水を得た魚のように快進撃を開始した。

ゆかりVの次節第5戦(第4戦は中止)で、大城と知野真澄が揃って3位タイの表彰台に立つと、第7戦では大城が2度目の準優勝。そして、第8戦愛媛大会で、知野が念願の男子初Vを果たした。優勝決定の瞬間、浅野夫妻は飛び上がってハイタッチ。眞弥は新人のころから手塩にかけて育ててきた後輩の勝利を「ゆかりの初優勝のときより嬉しかった」と喜んだ。

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さらに、大城は第9戦仙台大会で初優勝すると、第10戦、第11戦と3連勝。第17戦も制し、10月末現在、女子年間ランキングのトップをひた走っている。

浅野夫妻が心血を注いで育てたD-CROWNの血脈は、PERFECTの舞台に確かに受け継がれている。

(終わり)


次回予告
史上最高にして最強のドキュメンタリーとして喝采を浴びたDVD vol.1特典映像が満を持してCOUNT UPに降臨!
この男が放つダーツへの情熱、半端ない熱量をあなたは受け止めることができるか?
Leg4 前嶋志郎『ダーツバカ一代 ~ダーツ界の“溶接工”が夢見る風景』
どうぞお楽しみに!

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○ライター紹介

岩本 宣明(いわもと のあ)

1961年、キリスト教伝道師の家に生まれる。

京都大学文学部哲学科卒業宗教学専攻。舞台照明家、毎日新聞社会部記者を経て、1993年からフリー。戯曲『新聞記者』(『新聞のつくり方』と改題し社会評論社より出版)で菊池寛ドラマ賞受賞(文藝春秋主催)。

著書に『新宿リトルバンコク』(旬報社)、『ひょっこり クック諸島』(NTT出版)などがある。