COUNT UP!

COUNT UP! ―― PERFECTに挑む、プロダーツプレイヤー列伝。
―― PERFECTに参戦するプロダーツプレーヤーは約1,700人。
彼ら彼女らは、何を求め、何を夢み、何を犠牲に戦いの場に臨んでいるのか。実力者、ソフトダーツの草創期を支えたベテラン、気鋭の新人・・・。ダーツを仕事にしたプロフェッショナルたちの、技術と人間像を追う。
2014年4月21日 更新(連載第32回)
Leg7
弱肉強食の世界に飛び込んだファイティングダック 誰よりも高く羽ばたきたい!
樋口雄也

Leg7 樋口雄也(3)
テキーラが飛んでくる

「ひぐひぐ」こと樋口雄也ほど、アマチュアプレイヤーにもの真似をされているプレイヤーはいないと推察される。インターネットを通じて、様々な画像や動画が瞬時に世界を駆け回る時代。樋口の動画には海外からのアクセスも少なくない。樋口には見る人を惹きつけてやまない何かがある。

真似されるルーティーン

どこに?――。 なんといっても、投擲前のルーティーンである。
樋口は投擲前に2度、腕を大きく天空に引き上げてから振り下ろす動作を繰り返す。その、挙動不審とも思えるルーティーンがファンには堪らない。つい真似をしたくなる。真似をされるのは、もちろん、人気のバロメーターでもある。

――なぜ、いまのルーティーンをするようになったのですか?

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樋口は理論家らしく理路整然と説明する。「ターゲットに向かって腕を伸ばせさえしていればダーツが入る、という事はあり得ません。勢いよく腕を振りだすときに、そんなに正確に腕は伸ばせません。でも、結果としてダーゲットの方向に腕が出る状況になっていれば、ダーツもその方向に行く訳です。自然とそうなります。だから、その日、自分の肩から腕がどういう状況にあるか。自分の腕は伸ばしたときに何処に落ちるのか。それを確認して、腕が伸びる方向にターゲットがあるようにセッティングする訳です。それが一番シンプルな投げ方なんです。最初は練習のつもりでやっていたんですが、今では完全にルーティーンになっています」

ゲームの戦略や戦術に留まらず、樋口の一挙手一投足はすべて、理論に基づいている。

13年第11戦新潟大会。樋口は3年ぶりの決勝の舞台に立った。第1セットは0-2。迎えた第2セットで第1レグをキープされ、後のなくなった樋口は先攻の第2レグ・クリケットでも、スイッチャー泣かせの本領を発揮する。

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2013 PERFECT【第11戦 新潟】
決勝 第1セット 第2レグ「クリケット」

樋口 雄也(先攻)   山田 勇樹(後攻)
1st 2nd 3rd to go   1st 2nd 3rd to go
S20 T20○ S20 40 1R T19○ T19 S19 76
S20 S20 S20 100 2R T19 S20 T19 190
S20 T20 ×(T5) 180 3R S20 S20● T19 247
T18○ S19 S19 180 4R T18● T17○ T16○ 247
S15 S15 T15○ 210 5R T15● ×(S8) ×(S3) 247
×(S5) S16 OBL 210 6R IBL IBL○
WIN
272
○=OPEN ●=CUT OB=アウトボード IBL=インブル OBL=アウトブル
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第1Rは樋口の5マークに対し、山田は7。第2Rでは樋口は3マークしか打てず、連続7マークの山田に90ポイントのリードを許し、先攻のアドバンテージを失った。

第3R。ダーツに精度を欠く樋口は4マーク。5の山田は樋口の20をカットし、T19でリードを67とした。

迎えた第4Rで、樋口は「予測不能の理論家ダーツ」の本領を発揮する。1投目にトリプルで18をオープンすると、67点のビハインドで2投目は相手陣19のカットへ。シングルとなると3投目も続けてカットを狙った。

しかし、見せ場はここまで。自陣の18をカットされ、17、16を連続オープンするホワイトホースを山田に決められ、勝負は事実上決した。

第4Rを振り返って、樋口は言う。
「67点負けていて、まさかクローズに来るとは思わないですよね。たらればですけど、19が閉まっていたら全然別の展開になったのですが、うまくいきませんでした」

樋口は、観客から「面白い」と言われるのが一番嬉しい。もちろん、面白がらせるために、無理やり奇策を講じている訳ではない。ただ、自分が考え尽くした戦術にあっと驚いた観客が、少しの間をおいたのちに「なるほど」と膝を打つ瞬間が堪らない。
 「トンパチやハットトリック、ホワイトホースもダーツの魅力ですけど、それだけではないと思うんです。ゼロワンだったら、『さすが樋口だから、あそこは140ではなくて136削ったんだね。アレンジが解ってる』とか、クリケットならぎりぎりまでポイントで負けていても、果敢にカットに行って最後の最後に追いついて、ブル4本入れて逆転するとか、そういうのって有りだと思うんです。僕は自分が下手だと思っているので、最大限に頭を使ってチャレンジしているんです」

ドイツ生まれ 慶應卒

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樋口は1976年11月、ドイツで生まれた。彼の地は、大学で音楽史を教える父の若き日の留学先。母はドイツ語の翻訳家、そして4つ下の妹がいる。父方の叔母はピアニスト、母方の曽祖父は詩人。自由でアカデミック。樋口はこの上ないと言ってよい環境で、大人になるまでの時間を過ごし、竹のように真っ直ぐに育った。

凝り性で目立つのが好き。小学校からブラスバンドに熱中し、トロンボーンを吹いた。中学ではバレーボール、高校で再びブラスバンド。ロックバンドでも音楽に興じた。

成績優秀で、大学は父と同じ慶應義塾大学文学部へ。学科も父とまったく同じ哲学科美学芸術史学専攻。慶應入学までは、父に憧れその背中を追った。が、大学では学問より、音楽に熱中し、ジャズピアニストの大野雄二やドラマーの神保彰らを世に送り出した名門サークル「ライトミュージックソサエティ」に籍を置き、トロンボーンを続けた。

大学卒業後は、東京を中心に大型カラオケ店やダーツバーを展開する企業に就職した。プロのミュージシャンになりたいという淡い夢は持っていたが、現実的ではないと判断した。が、保険会社など堅い仕事は性に合いそうもない。樋口はそう結論して、レジャー産業に飛び込む。そこで出会ったダーツが、会社員として安定した日々を送るはずだった「目立ちたがり屋」の人生を変える。

上手くても下手くそでも楽しい

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樋口が最初にダーツに触れたのは、「02年か03年ごろ」のこと。何年の何月と、はっきりと記憶しているほどの強烈な出会いではなかった。地元のビリヤード場で遊んでいて、隅に置いてあったダーツと戯れたのが始まりだった。

03年の秋、新店オープンの準備で終電に間に合わない日々が続いた。そのとき、残業が終わって、事務所やサウナで仮眠するまでの僅かな時間を、ダーツバーで過ごすようになった。疲れた体にアルコールを流し込み、ハイになってダーツに興じる。上手くても下手くそでも、みんな一緒になって遊べるダーツが好きになった。ちょっと上手くなると、褒められる。失敗すると「テキーラが飛んでくる」。それが楽しくて、ますます好きになる。

新店をオープンさせ、仕事が落ち着いてもダーツ熱は冷めなかった。上手いと言われている人たちのダーツを見て、「自分とどう違うのか」考えて、自己流でいろいろ工夫しているうちに、上達した。

浅野夫妻に薫陶

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その頃、池袋界隈に転居した。近くに、都内でも有数のダーツバー「Palms」があった。経営する浅野眞弥はダーツ界の重鎮、妻のゆかりは、ダーツのワールドカップに日本代表として連続出場を続ける女王。夫妻に樋口を教えた意識がなくても、Palmsに通ううち、樋口は二人の背中を見て成長していく。

当時を振り返って樋口は言う。「とにかく楽しかった。投げていれば楽しいし、眞さんやゆかりさんにぼこぼこにされて、何をどうしたらいいんだろうと考えるのが凄く楽しかった。だから、学んだのは技術的なことではないです。ダーツの楽しみ方を教えてもらったと思います」

ダーツを始めて5年が過ぎていた。そして、2008年の4月。樋口のダーツが転機を迎える。

(つづく)


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○ライター紹介

岩本 宣明(いわもと のあ)

1961年、キリスト教伝道師の家に生まれる。

京都大学文学部哲学科卒業宗教学専攻。舞台照明家、毎日新聞社会部記者を経て、1993年からフリー。戯曲『新聞記者』(『新聞のつくり方』と改題し社会評論社より出版)で菊池寛ドラマ賞受賞(文藝春秋主催)。

著書に『新宿リトルバンコク』(旬報社)、『ひょっこり クック諸島』(NTT出版)などがある。