COUNT UP!

COUNT UP! ―― PERFECTに挑む、プロダーツプレイヤー列伝。
―― PERFECTに参戦するプロダーツプレーヤーは約1,700人。
彼ら彼女らは、何を求め、何を夢み、何を犠牲に戦いの場に臨んでいるのか。実力者、ソフトダーツの草創期を支えたベテラン、気鋭の新人・・・。ダーツを仕事にしたプロフェッショナルたちの、技術と人間像を追う。
2014年1月14日 更新(連載第22回)
Leg5
迷わない 彷徨わない 歩く道は自分が決める それが私のプライドだから
今瀧舞

Leg5 今瀧舞(5)
「ダーツがやりたくて、離婚してもらいました」

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8月25日、札幌。準々決勝でランキング1位の大城明香利を倒した今瀧舞は、準決勝で門川美穂を破り決勝の舞台に駒を進めた。

決勝を戦ったのはPERFECT初参戦の小林知紗。と言っても、D-CROWNでは実績のある中堅で、地元北海道では負け知らずの強敵。出産を経て闘いの舞台に戻ってきた小林は、準々決勝で今野明穂を、準決勝ではD-CROWNの女王・浅野ゆかりを退けていた。

9ダーツTVの解説席に座った小野恵太は、キープ合戦かワンサイドのどちらかと試合展開を予想した。実力は拮抗、どちらかが初優勝の重圧で崩れればワンサイドとの見立てだ。が、ゲームは恵太の予想とは違う展開となった。

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第14戦 札幌大会 決勝 第2レグ「クリケット」

小林 知紗(先攻)   今瀧 舞(後攻)
1st 2nd 3rd to go   1st 2nd 3rd to go
S20 ×(T1) S20 0 1R S20 ×(S5) S20 0
S20○ T20 S19 60 2R S19 T19○ S19 38
T19● S20 ×(T1) 80 3R T17○ ×(S3) T17 89
×(T3) ×(S1) S20 100 4R S17 S20● S17 123
S18 S18 T18○ 136 5R ×(S1) T17 S17 191
T18 ×(T1) ×(S1) 190 6R S18 T18● S17 208
S16 T16○ ×(S7) 206 7R T16● S15 T15○ 223
OBL IBL ×(S1) 206 8R OBL OBL ×(S5) 223
OBL ×(T1) ×(S17) 231 9R OBL S17●
WIN
240
○=OPEN ●=CUT IBL=インブル OBL=アウトブル

第1レグ701で大差のブレイクを許した今瀧が、身上とする強気のダーツで果敢に攻めた。

第5Rには、13Pビハインドの場面で、1投目をカットに。ミスはしたものの、2、3投目の4マークで55Pのアドバンテージを得た。

第6Rにも、僅か1Pリードの場面で、再びカットに。2投を費やし、得点差18Pに詰め寄られた。が、ひるまなかった。

第7R。先攻の小林は4マークで16をオープンし、加点16。2P差の場面で三度カットにいった今瀧は1投目のトリプルで小林の16をカットし、続く2投で15を奪った。

第8R。後のなくなった小林はブルをオープンするも、加点なし。が、ブルをクローズすればブレイクだった今瀧は2マークで決め切れず、小林にワンチャンスを与えた。

第9R。小林は1投目のアウターブルでポイントオーバー。今瀧の陣地2つをカットすればキープだったが、2投目でカットできず、3投目のプッシュもミス。8Pビハインドの今瀧は、最後まで真骨頂の強気の攻めで、1投目にブルをクローズ、2投目のプッシュでブレイクバックに成功した。

臆病でマイナス志向

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今瀧は1986年1月、長野県岡谷市で生を受けた。トンネル工事に従事していた父と専業主婦の母、7つ年上の兄がいた。

父の仕事のため、家族は転居を繰り返すが、学齢前に父の実家のある長崎県諫早市に落ちつき、舞はそこで高校卒業までを過ごした。

小学校の頃は柔道、中学校ではソフトテニスに打ち込み、高校ではボクシング部のマネージャーを務めた。ギターを弾き、絵を描くのも好きだった。男勝りの腕白。子供時代を振り返り、「伸び伸びと育ちすぎました」と笑う。が、典型的な内弁慶で人見知り。臆病でマイナス志向の表情も併せ持っていた――というのが自己分析だ。

2004年の春、舞は高校を卒業すると、長崎に出てアルバイト生活を始めた。年末には、付き合っていた男性と一緒に名古屋に転居している。若い二人の暮らしは長くは続かなかったが、名古屋は第二の故郷となった。

ダーツの神様に選ばれた

名古屋で暮らし始めて3年目を迎えた07年の春、舞は父親ほどの年齢の男性と結婚し、「社長夫人」となった。夫は会社を経営し、「包容力のある優しい人」だった。それを運命の悪戯と言うのか、知り合ったのはダーツを始める前だった。順番が逆だったら、今瀧の人生は随分違った色になっていたかもしれない。

結婚を間近に控えた前年秋、舞は「花嫁道具」の一つにと、自動車の免許を取った。合宿の最終日、担当の指導員から新品のバレルをもらった。ダーツが好きな人だった。

アパートのすぐ近くにダーツバーがあった。折角だから行ってみたいと思ったが、引っ込み思案の性格が邪魔して、一人ではドアを押せない。躊躇の日々を送っていたとき、偶然、仕事で知り合った人から、そのバーに誘われた。渡りに船だった。今瀧舞、20歳の冬。ダーツとの蜜月が始まった。

多くのトッププレイヤーがそう語るように、今瀧もまた、すぐにダーツの虜になった。初めて投げた日から、毎日9時間ボードに向かった。まるで魔物に取りつかれたように。あるいは、ダーツの神様に選ばれてしまったかのように。

ダーツと結婚したかのような新婚生活

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主婦になって時間ができると、さらにダーツにのめり込んだ。朝、夫を送り出し家事を片付けると、マシーンのある喫茶店へ。夕方、買い物をして家に帰り、夕食が終わるとダーツバーに出かける。まるでダーツと結婚したかのような新婚生活だった。

新しい玩具を手にした昭和の子供のように、今瀧の生活はダーツ一色に染められていく。うまくなるのが楽しい。勝負が楽しい。が、それだけではなかった。ダーツは今瀧を変えていた。

ダーツを始めた頃、師と仰いだダーツバーのオーナーが言った。「ダーツを3本持ってさえいれば色んなことができるんだよ」。人見知りで、知らない人に話しかけることなど考えたこともなかった自分が、ダーツを持つと、自然と話しかけることが出来た。

マイナス志向で、物事を悪いほうにばかり考え、思ていることがあってもつい口を噤んでしまう、そんな自分が楽しいことを考え、思ったことを口にできるようになっていた。

「名古屋で天辺(てっぺん)を獲りたい」

ダーツを始めて8カ月でAフライトに駆け上がり、1年余の雌伏の時期を経て再びAフライトに返り咲いた今瀧は、名古屋近郊のトーナメントに参加するようになる。強い相手と戦いたいという気持ちが募った。

当時、東海地区では長澤久美子と山田尚子の名が知られていた。強敵と戦いたいという気持ちは、二人を倒して「名古屋で天辺を獲りたい」という目標に変わっていく。

09年、当時アマチュアも出場できたPERFECTの愛知大会に初参戦。プロと戦えるという手応えを得ると、プロのツアーを転戦したいという気持ちが膨らんだ。ダーツプレイヤーとしての夢が広がっていくばかり。が、ダーツ一色に染まった新婚生活には、破綻が忍び寄りつつあった。

離婚後も夫の姓を名乗って戦う

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2010年7月、今瀧は離婚する。三行半を突き付けられた訳でも、夫に不満があった訳でもない。が、ダーツと主婦業の両立は限界に達していた。家事を放棄してダーツに明け暮れていていいはずはない。目前には年老いた義父母の介護も迫ってきていた。

身勝手なのは自身が一番分かっていた。他人が羨むような安定した生活を、一瞬のうちに失ってしまうことも分かっていた。でも、どうしてもダーツをやりたい。その気持ちが抑えられない。

「本気でやりたいことを見つけたから、離婚してほしい」
意を決した今瀧の懇願に夫は寛大に応じた。
「とことんやったらいいじゃん」

「ありがとう」と感謝の言葉を伝え、3年4カ月の短い結婚生活に自らピリオドを打った今瀧は、ダーツの道に邁進する。「今瀧」は旧姓ではなく夫の姓。離婚後も、その姓を名乗ることにしたのは、「自分に対する戒め」だ。

ときに鬼気迫る今瀧のダーツは、多くを犠牲にした重い過去を背負っている。やはり、今瀧はダーツの神様に選ばれてしまったのではないか、と私は思う。その道は無論、険しい修羅の道である。

(つづく)


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○ライター紹介

岩本 宣明(いわもと のあ)

1961年、キリスト教伝道師の家に生まれる。

京都大学文学部哲学科卒業宗教学専攻。舞台照明家、毎日新聞社会部記者を経て、1993年からフリー。戯曲『新聞記者』(『新聞のつくり方』と改題し社会評論社より出版)で菊池寛ドラマ賞受賞(文藝春秋主催)。

著書に『新宿リトルバンコク』(旬報社)、『ひょっこり クック諸島』(NTT出版)などがある。