COUNT UP!

COUNT UP! ―― PERFECTに挑む、プロダーツプレイヤー列伝。
―― PERFECTに参戦するプロダーツプレーヤーは約1,700人。
彼ら彼女らは、何を求め、何を夢み、何を犠牲に戦いの場に臨んでいるのか。実力者、ソフトダーツの草創期を支えたベテラン、気鋭の新人・・・。ダーツを仕事にしたプロフェッショナルたちの、技術と人間像を追う。
2016年3月16日 更新(連載第75回)
Leg15
世界という称号とプロとしての矜持 二兎を追う港町の女王 その航海の軌跡
知野真澄

Leg15 大内麻由美(3)
最初から上手かった

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PERFECT2016年シーズンは2月20日、横浜大会で開幕した。初戦を制したのは男子が3年ぶりの王座返り咲きを期す山田勇樹、女子は高木静加が念願の初優勝を遂げた。

開幕戦は男子がベスト4に山田、浅田斉吾、知野真澄、小野恵太が顔を揃え、実力者が火花を散らす壮絶な戦いだったのに対し、女子は昨年の女王大城明香利が2回戦で、今野明穂が3回戦で、松本恵がベスト8で姿を消す波乱のスタートとなり、大内麻由美もベスト4で敗れた。

続く第2戦北九州大会は男子も大荒れ。昨年ランキング4位の小野が1回戦、一昨年の覇者・知野と昨年の王者浅田がベスト16で敗退。昨年ランキング3位の山田もベスト8に沈み、伏兵の金子憲太が初の優勝を手にした。

女子は女王奪取に燃える大内が、決勝で松本恵を破り今季初優勝。今野は1回戦で敗れ、大城は2回戦で松本に苦杯を喫した。開幕2戦を終え早くも混沌の様相を呈し始めたドラマティックPERFECTの序盤戦は、大内が一歩リードする展開となった。

初優勝

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「ダーツ歴の中でも一番運のなかった年だったかもしれない」という2013年シーズンが終わり、2014年を迎えた。この年、ハードではエリ・メモリアルダーツトーナメント、JSFD ジャパンマスターズで優勝するなど、春先から好成績を上げた大内麻由美だったが、PERFECTでは本来の輝きは取り戻せていなかった。

開幕戦で屈辱の予選落ちを喫すと、その後も調子は上がらなかった。夏を迎えた第10戦横浜大会までベスト8に残れたのは僅かに1回、年間ランク14位と低迷した。が、迎えた第11戦新潟大会で、潮目が変わる。

決勝トーナメント1回戦で実力者・石川由喜子を退けた大内は、ベスト8で長期のスランプから抜け出し第9戦で優勝していた今野明穂を撃破。準決勝では新女王の大城明香利を倒して勢いに乗る今瀧舞にフルレグの末の勝利を捥ぎ取り、自身4度目の決勝進出を果たす。

対するは柴田美保子。前年からのスポット参戦で、決勝を戦うのは初めての選手ながら、この日は對馬裕佳子、濱田緒里絵、清水希世、松本伊代と、いずれも優勝経験のある実力者を薙ぎ倒して、大舞台に駒を進めていた。

それまで3度決勝で苦杯を嘗めさせられていた大内は、決勝の前に戦い方を変える。「天然」と形容されることもある大内の真骨頂は「自然体」だ。試合中に喜怒哀楽をみせることは皆無。勝負への執着も表には出さない。いつ見ても、どこかふんわかした長閑な雰囲気に包まれているのが大内である。過去3度の決勝では「気楽に行こうと開き直って、自然体でやり過ぎてこけた」という反省があった。

それまでの決勝で敗れた松本恵、清水、小林知沙と比べると、柴田はスタッツも低く難しい相手ではなかった。「普通にやれば勝てるだろう」とは思ったが、「緊張感を持って一生懸命やろう」と自分に鞭を打って、決勝に臨んだ。

3度のハットトリックで圧倒し第1レグをキープした大内は、続く第2レグで安定感と集中力を見せつけるダーツを披歴する。

ZOOM UP LEG

2014 PERFECT【第11戦 新潟】
決勝戦 第2レグ「クリケット」

柴田 美保子(先攻)   大内 麻由美(後攻)
1st 2nd 3rd to go   1st 2nd 3rd to go
20 20 20 0 1R 20 T20 19 0
× T19 T19 57 2R T18 T18 18 72
19 T19 18 133 3R T18 18 × 144
T19 × 19 209 4R × T18 18 216
T19 18 18 266 5R T17 T17 T19 267
T16 16 17 282 6R T17 T17 16 369
× × 16 298 7R 16 16 15 369
15 × 15 298 8R T15 × IBL 384
OBL OBL × 298 9R OBL
WIN
T=トリプル D=ダブル IBL=インブル OBL=アウトブル
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第1R。20の獲得に3本を費やした先攻の柴田に大内が牙を剥く。1投目からいきなりカットを選択。シングルとなったが2投目のトリプルで柴田の20をカットした。

第2Rは柴田が6マークで、大内は7マーク。第3Rの柴田は2本で76ポイント加点し、3投目のカットはシングル。大内も2本で72ポイントを加点し11ポイントのオーバーで、3投目のカットはミスショット。第4Rは両者4マーク。全くの互角でレグは後半戦に入り、続く第5Rで大内が魅せた。

第5Rの柴田は1投目にトリプルでプッシュし50ポイントオーバーすると、残り2本で大内陣の18をカット。陣地を失った大内は1投目に17を獲得すると、2本目にトリプルでポイントオーバー。点差は僅か1ポイントながら、3投目は迷わずカットの強気のダーツを選択。トリプル一本で柴田陣の19を奪った。

第6R。ブレイクされると後がなくなる柴田も粘りをみせる。1投目の一本で16を獲得し、2投目のプッシュはシングル。15ポイントのオーバーで3投目はカットを選択したが、痛恨のシングル。短期決戦をしかけた大内に真っ向勝負で挑み、手痛い傷を負った。

隙を見せた柴田を再び大内が襲う。1投目のトリプルでポイントオーバー。2本目はカットにいかずに加点。勝負所で戦術を変え、トリプルで止めを刺した。3本目のカットはシングルとなったが、87ポイントの差をつけ大勢を決した。

第7R。プレッシャーをかけられた柴田の1投目は16のゾーンから大きく上に外れミス。2投目は右に外れ連続のミスショット。一呼吸おいて狙いすました3投目もシングルゾーンに外れた。対する大内は2本で柴田陣の16をカット。第8Rで柴田が15のオープンに失敗すると、大内は1本で15を獲得し、ブレイクを決定づけた。

「お待たせしました」

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第3レグは柴田が自滅。初優勝決定の瞬間、大内はにこりと微笑み、柴田と握手を交わした後、両手を高々と突き上げた。初めての優勝インタビューでは「お待たせしました」と言って観客の笑いを誘った。

試合後、PERFECTの試合をライブ中継する9ダーツTVの解説席に招かれた大内は、「ずっと、まだ優勝しないの、早く優勝してと(周囲から)プレッシャーをかけられていたので、やっとできたと思ってほっとしました」と、重圧から解き放たれた本音を吐露した。

解説の福永正和は労いの言葉をかけた。「ハードでは世界的な実績のある選手。PERFECTでは上手く勝てなかった。腐らず、我慢してやって来てるな。偉いな。真摯に取り組んでいて、偉いな、と思ってました」

大内の苦しみを知る福永は、何度も「偉い」を繰り返し、ハードの女王の初優勝を労った。

初優勝を機に、大内のPERFECTでの快進撃が始まる。

物心ついた頃から

「COUNT UP!」で取り上げた選手は、大内で15人目である。そのほとんどすべてが、ダーツと運命的に出会い、憑りつかれたようにダーツ漬けの日々を過ごした経験を持つ。が、大内にはそれがない。大城明香利もそうなのだが、父親がダーツの選手で、物心ついた頃からダーツの環境があった。それが、ダーツとは無関係に生きてきた人との違いである。

にしても、である。負けず嫌いの大城は、少女時代、負けたままなのが嫌で、負けた相手に勝てるまでダーツの練習に明け暮れた。そのようにして実力を培っていった。大内にはそれもない。狂ったように練習したり、すべてを忘れてダーツに打ち込んだりした時期がまったくない。それを門前の小僧と言うのだろうが、一言で言うと、大内は最初から上手かった、のである。

「COUNT UP!」の読者であれば、どなたも経験があることと思うが、初めてダーツを投げた時、ダーツは狙ったところとは全然違う、明後日の方向に飛んでいくものだ。私にも経験がある。が、大内は違った。リーグ戦に駆り出されてダーツを始めた頃、狙ったのは20のゾーンだった。投げたダーツの大半は、5か20か1に向かった。

理屈を言えば、子供の頃にダーツで遊んだことがあり、父がダーツを投げる姿が目に焼き付いていた大内は、自然とダーツの投げ方を身につけていたのであろう。だからこそ、最初から上手かったのである。そして、それが大内の人生を変える。

パリに行きたい!

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2000年春、短大を卒業した大内は、税理士事務所に就職した。が、ほどなく退所し父母が切り盛りするダーツバーで働き始めた。客に求められればダーツの相手をした。「お店にいるんだったら、普通の人よりは上手くなった方がいい」と思って、たまには投げてみる。そんな日々を送っていた。

地域リーグには駆り出されて参加していた。父に勧められ、年に一度はハードの全国大会にも出場した。「女子は数が少ないし、レベルも高くないから、優勝できる可能性もなくはない」と言われた。初出場の年は初戦敗退するが、負けた相手は優勝した。2年目も初戦敗退したが、1レグを獲ることができた。

その頃、父・政民にいくつかアドバイスを受けたのを憶えている。「女子は見た目綺麗に投げろ」「格好悪いから後ろ足を曲げるな」――。今となって考えると、美しいフォームは理に適っている、と思う。父のちょっとした一言が、大内のダーツの技術を向上させていた。

2003年、東京ダーツアソシエーション(TDA)の全国大会に出場した。運営に参加していた父の知人から「女子が欲しいから出場してくれ」と頼まれてのことだった。試合の前の日に練習しただけのぶっつけ本番はいつもと同じ。「アレンジもわからないので、後ろを向いて父から(どこを狙うか)サインをもらいながら」投げた。

この大会で大内はとんとん拍子で勝ち進み、優勝してしまう。聞くとTDAはワールドカップに派遣する代表選手の選考対象の試合の一つだった。優勝で獲得したポイントは大きい。女子の代表は2人だが、当時は西川(現・浅野)ゆかりが絶対女王と君臨し、ランキングトップは指定席。代表争いは事実上、他の選手で残りの1枠を争う構図。この年のワールドカップ開催地はフランスのエピナールだった。

「このまま頑張れば、フランスに行けるかもしれないぞ」
 知人に言われて欲が出た。フランスならパリに行ける。上手くなりたい、ではなく、「パリに行きたい」の一心で、残りの試合にも出場した。それでも、練習は相変わらず一夜漬け。ポイントランキングは2位とは大差の3位で代表には選ばれなかった。ダーツを始めて、初めて悔しさを味わった。

父娘でアジアカップに出場

ワールドカップは隔年開催で、谷間の年にはアジアカップが開催される。2004年の開催地はシンガポール。「今度こそ、絶対にシンガポールに行く」。覚悟を決めた大内は、この年、代表選考対象のトーナメントの全戦に参加した。試合前の練習期間は一夜漬けから、3日前から、1週間前からと伸びていく。結果はランキング2位。男子の代表に選出された父・政民とともに、父娘でアジアカップ行きの切符を手にした。

そして9月。父娘で訪れたシンガポールで、大内の人生が変わる。

(つづく)


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○ライター紹介

岩本 宣明(いわもと のあ)

1961年、キリスト教伝道師の家に生まれる。

京都大学文学部哲学科卒業宗教学専攻。舞台照明家、毎日新聞社会部記者を経て、1993年からフリー。戯曲『新聞記者』(『新聞のつくり方』と改題し社会評論社より出版)で菊池寛ドラマ賞受賞(文藝春秋主催)。

著書に『新宿リトルバンコク』(旬報社)、『ひょっこり クック諸島』(NTT出版)などがある。