COUNT UP!

COUNT UP! ―― PERFECTに挑む、プロダーツプレイヤー列伝。
―― PERFECTに参戦するプロダーツプレーヤーは約1,700人。
彼ら彼女らは、何を求め、何を夢み、何を犠牲に戦いの場に臨んでいるのか。実力者、ソフトダーツの草創期を支えたベテラン、気鋭の新人・・・。ダーツを仕事にしたプロフェッショナルたちの、技術と人間像を追う。
2014年8月4日 更新(連載第39回)
Leg9
PERFECTに舞い降りた妖精。疾走するワルツ
大城明香利

Leg9 大城明香利(2)
勧学院の雀

《大城明香利の父は、大城が生まれる前から、全国に名の知れたダーツプレイヤーだった。「巨人の星」の星飛雄馬のように、大城はその父から英才教育を受けた。学校に行く齢になる前から、家での遊びは遠くからごみ箱にごみを投げ入れることだった――》

伝説を生んだ妖精

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大城を取材する前に、PERFECT関係者から「英才教育」の話を聞いて驚いた。そんな話が本当にあるのかと。

話の真偽を伺うと、「そんなの嘘ですよ。福永(正和・フェリックス社長)さんか誰かが言ってるんでしょう。全然、そんなことないです」と、一笑された。

父が著名なダーツプレイヤーだったのは事実。が、英才教育は作り話、とのこと。しかし、そんな「伝説」が生まれるほど、大城のPERFECT参戦は鮮烈だった。スレンダーな体躯に、周囲を安らかな気持ちにさせる笑顔。ほんわかとした雰囲気。そして、ファンを瞠目させる実力と裡に秘めた闘志。大城は「PERFECTに舞い降りた妖精」であった。

地元で2連覇を達成

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涙の初優勝から3週間後の2013年6月30日。PERFECT13年シーズン第10戦は、大城の地元沖縄で開催された。

大会は地元の人々によって琉球舞踊や民謡が披露される賑やかな雰囲気の中で始まり、男女とも沖縄勢が大活躍し会場を沸かせる。男子は大城雄太が知野真澄を倒してベスト16に、竹本吉伸はベスト16で樋口雄也を、準決勝で浅田斉吾を破って決勝に駒を進めた。

男子以上の活躍で地元ファンを喜ばせた女子はベスト8に3人が名を連ねる。島村麻央は準々決勝で女王の松本恵に屈したものの、浅野ゆかりを倒してのベスト8。順調にコマを進めてきた今野明穂は、準決勝でその松本を跳ね飛ばし決勝に名乗りを上げる。

そして大城。2回戦で松本伊代、準決勝では神沼千紘の実力者を蹴ちらし5度目の決勝の舞台に立つことになり、第2戦神戸大会以来2度目の決勝での沖縄対決を地元で実現させた。

前節の第9戦(第4戦は中止)まで、今野は8戦して優勝2回、準優勝2回、ベスト4は3回の戦績で年間総合1位を独走していた。それを追う大城は優勝1回、準優勝3回、ベスト4が2回。前節の初優勝でポイント差は一気に縮まっていた。

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今野との直接対決は2戦して大城の2敗。初対戦の第2戦神戸大会決勝は0-3、第8戦愛媛大会準々決勝では0-2で敗れ、今野から1レグも取れず煮え湯を飲まされていた。

連載第1回でも触れたとおり、大城も今野も13年シーズンが初の全戦参戦のルーキー同士。地元は沖縄。そして松本恵や浅野ゆかりを押し退け、女王レースのトップを争う。互いに絶対に負けたくない相手だった。

燃える理由はもう一つあった。沖縄勢とはいえ今野は内地からの移住組で「ウチナー」ではない。その今野が女王レースのトップを走り、「沖縄の今野」ともてはやされている。

「沖縄には大城も麻央もいるっていうところを見せたい」――。大城はその細身の体と優しい笑顔の裡に、熱く激しい闘志を燃えたぎらせていた。

年間女王を意識しながら投げた

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沖縄大会の決勝第1レグ701は大城の先攻で始まる。地元で勝ちたい気持ちが2人に重圧となったのか、互いにブルが合わず、僅差でゲームは進んだ。第7Rで大城は今野にブレイクのチャンスを与えたが、残り39Pの今野の3投目はT13のワンビット下に外れ、大城が第1レグをキープする。

第2レグもお互い固く思うようにゲームは進まない。が、第5Rでホワイトホースを打った今野がキープに成功。レグカウント1-1で迎えた第3レグは、第1Rで7マーク、第2Rでホワイトホースの大城が前半で大きくリードしながら、最後の砦のブルでインブルを連発する今野の猛反撃を受けるスリリングな展開となった。が、第8Rで今野がブルを2本外して勝負あり。終始戦況リードの大城がキープし、2連覇に王手をかけた。

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2013 PERFECT【第10戦 沖縄】
決勝 第4レグ「701」

今野 明穂(先攻)   大城 明香利(後攻)
1st 2nd 3rd to go   1st 2nd 3rd to go
B B 4 597 1R B 6 B 595
14 B B 483 2R B B B 445
7 B B 376 3R B 11 B 334
19 B B 257 4R B B B 184
B B B 107 5R 2 B B 82
9 B 16 32 6R B 32 WIN
OB=アウトボード
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第4レグは後のなくなった今野の先攻。が、この日の今野はブルが合っていない。第1Rは両者2ブルで互角の滑り出し。第2Rも今野は2ブル。大城がここでハットトリックを打ち、僅かにリードした。

第3Rは再び両者2ブル。第4Rも今野は2ブル。残り334Pの大城は、1、2投目にブルで100Pを削り残り234P。チャレンジのT20で60Pを削ればto go 174の上がり目で、今野にプレッシャーを与えられる展開だった。が、「削ることしか頭になかった」と言う大城は、3投目もブルに入れ2度目のハットトリックをマーク。to go 184で上がり目とはならず、今野に余裕を与えた。

第5R。大城からの「プレゼント」を活かしたい今野はここでハットトリック。to go 107とし、先攻の戦況有利を取り戻す。大城は102Pを削りto go 82。

第6R。優勝にはキープが絶対条件の今野は1投目のブルをミスしS9。2投目は確実にブルに突き刺したものの、残り48Pで3投目に易しくはないT16を残した。3投目。狙いすました今野のダーツはターゲットの僅か1ビット内側。対今野戦2連敗の雪辱と大会2連覇へワンチャンスをもらった大城は1投目をブルへ、2投目をD16へ確実に捩じ込み、地元優勝を捥ぎ取った。

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優勝の瞬間、大城は左手に1本残った矢を握りしめてガッツポーズ。そして、いつものように力強く両手を打ち、今度は右手でガッツポーズ。そして、両手を広げ笑顔で祝福する今野に駆け寄り、握手しながらぴょんぴょんと飛び跳ねて、2連覇と地元優勝の喜びを爆発させた。

優勝インタビューも、涙で声を詰まらせ言葉を発することができなかった初優勝の時とは一転。「今日はみんな見て気に来てくれているので、(その前で優勝できて)本当にうれしいです」と、はきはきと答えた。

仙台の初優勝で決勝3連敗の呪縛から解放された大城は、それまでとは別人だった。「また決勝で負けたらどうしよう」「期待を裏切りたくない」…。集中を妨げていた雑念は消え、落ち着いてボードに向かえるようになっていた。そしてこのとき――このときというのはつまり、沖縄大会の予選ロビン、決勝トーナメントの戦いの最中ということだが、大城はすでに「年間女王」を意識して、ダーツを投げていた。

「この大会ぐらいから、どこかでちょろっと(年間女王を)意識しながら、落ち着いて投げられるようになっていました」――。
 初めて全戦参戦した年に、決勝3連敗で自信を失うどん底を味わったあとに、やっとの思いで初優勝を遂げた、その直後の沖縄大会を振り返っての言葉だ。

お小遣いにつられて始めたダーツ

大城明香利は昭和が終わる寸前の1988年8月、沖縄の生まれ。父は「色んな人が内地から対決にやってくるほど名の知れたダーツプレイヤー」で、家にはトロフィーやカップ、メダルに楯がごろごろしていた。

父は母とともに那覇でダーツバーを営んでいた。明香利は兄が2人に弟が1人の大家族の中で、のびのびと育つ。

初めてダーツを投げたのが何時だったか、大城は憶えていない。おそらく小学校の低学年の頃だと思う。小学校4年生の頃には、ダーツの「お小遣い制」ができていた。父の店でブルに入ったら50円とか、20トリプルに入ったら100円とか、3本入ったらいくらとか、という具合に。

手を伸ばしてもまだダーツボードに届かなかった明香利少女は、お小遣い欲しさに投げては椅子に上って矢を抜き、また投げる。それを何度も繰り返した。毎週末、お店に行ってお小遣いを稼ぐのが習慣になっていた。

父からきっちりとした指導を受けた記憶もない。中学校の頃、「肩を入れる」「真っ直ぐ引く」「真っ直ぐ出す」と言われたことをわずかに覚えているくらい。が、その頃には、お店に来たお客さんと「クリケットならいい勝負ができるくらい」に上手くなっていた。

「私は負けず嫌いなので、負けたまま終わりたくなくて、何回も何回も、『もう1回お願いします』と言って、お父さんよりも私がお客さんと投げていました」

「お父さんのようになりたい」

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そのようにして、大城はダーツを自然と身に着けた。「勧学院の雀は蒙求を囀る」(かんがくいんのすずめはもうぎゅうをさえずる)という故事を地で行くような少女時代だった。

当時を振り返って大城は笑顔を見せる。「上手く乗せられたというか、お小遣い制に始まって、お店でお客さんと投げるようになって、それが今に繋がっているのかな、と」

中学ではバスケットボールにも熱中した。週末は朝までお店でダーツを投げて、寝不足のまま部活に出かける。後述することになるが、高校時代の途中まで続いたそのスタイルは、今の大城の姿に直結している。

「お父さんのようになりたい」――。中学校の頃には、そう思うようになっていた。「お父さんのように」というのは、もちろん、有名なダーツのプレイヤーという意味だ。高校時代に、親しい友達にサインを書いて渡したことがある。「将来、絶対価値がでるから」と。高校時代の大城の目は、すでに頂点を見据えていた。

しかし、大城はそのまま真っ直ぐダーツの一本道を歩んで来た訳ではない。高校時代の途中にアルバイトを始めると、部活もダーツもやめてしまう。アルバイトでお小遣いを稼ぎ友達と遊びに行く。友達と遊ぶのがダーツより楽しくなった。

そして高校を卒業すると、「内地で一人暮らしをするのに憧れて」、沖縄を飛び出した。以後、数年、ダーツを全く触らない日々を過ごした。

(つづく)


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○ライター紹介

岩本 宣明(いわもと のあ)

1961年、キリスト教伝道師の家に生まれる。

京都大学文学部哲学科卒業宗教学専攻。舞台照明家、毎日新聞社会部記者を経て、1993年からフリー。戯曲『新聞記者』(『新聞のつくり方』と改題し社会評論社より出版)で菊池寛ドラマ賞受賞(文藝春秋主催)。

著書に『新宿リトルバンコク』(旬報社)、『ひょっこり クック諸島』(NTT出版)などがある。