COUNT UP!

COUNT UP! ―― PERFECTに挑む、プロダーツプレイヤー列伝。
―― PERFECTに参戦するプロダーツプレーヤーは約1,700人。
彼ら彼女らは、何を求め、何を夢み、何を犠牲に戦いの場に臨んでいるのか。実力者、ソフトダーツの草創期を支えたベテラン、気鋭の新人・・・。ダーツを仕事にしたプロフェッショナルたちの、技術と人間像を追う。
2014年10月20日 更新(連載第44回)
Leg10
死線を彷徨ったあの日から3年余。復活へのアンダンテ
谷内太郎

Leg10 門川美穂(3)
3.11――死線を彷徨った

COUNT UP!

2011年3月11日午前10時頃。翌日のPERFECT第2戦出場のため、門川豪志・美穂夫妻は8人乗りのワゴン車日産セレナで自宅を出発。上野で岩永美保、竹下舞子の2人を乗せ一路北へ向かった。最初の目的地は仙台空港。大阪から参戦の星野光正と鈴木聡を空港で迎え、市内のホテルに向かう予定だった。星野は当時「皇帝」と呼ばれていたPERFECTの絶対王者。夫妻を除く4人は大阪のクロス・ダート・ディヴィジョン所属のプレイヤーで、夫妻は事務所と親しい関係にあった。

千住新橋入口から首都高川口線に乗ったセレナは、川口ジャンクションで東北道に入り、途中、那須高原サービスエリアで休憩をとり、14時頃、白石インターチェンジで高速を降りた。

仙台空港は太平洋を臨む海岸線から僅かに1㌔ほどの立地で、高速の出口から空港までは約50分。一行は奥州街道を北東に向い、空港近くのセブンイレブンに立ち寄った。前日、朝方まで働いていた美穂と岩永は熟睡していて、豪志と竹下の2人だけが店に入った。14時40分頃だった。

豪志はレジで店長と立ち話をする。
「どちらから?」
「東京から来たんです。明日、仙台でダーツのトーナメントがあるんですよ」
「知ってますよ。ダーツファンですから。頑張ってくださいね」

ジャガリコが食べたい

14時46分。豪志らが買い物を終え、店を出ようとしていたときだった。突然、足元が地の底から突き上げられるような衝撃を受けた。ぐらっと床が揺れた。それまで経験したこともない激しい揺れだった。咄嗟にアイスクリームの冷凍ケースにしがみついた。

セレナの中で眠っていた美穂は、岩永の悲鳴で飛び起きた。まるでトランポリンの上にいるみたいにシートが上下に激しく揺れた。訳がわからず、岩永と手を握り合って泣きながら揺れが収まるのを待った。

地震が収まると直ぐに空港へ向かった。空港が目前に迫ったとき携帯が鳴る。飛行機が引き返した、とにかく安全な場所に移動した方がよい、というクロスの社長、入江高伸からの連絡だった。

経験もないような大きな地震だったから、この先何があるかわからない。食べ物と飲み物も確保しておこう。4人は空港を後にし、直前に立ち寄ったセブンイレブンを再び訪れる。そのとき、美穂は無性にジャガリコが食べたくなった。

「私、買ってくる」
 ジャガリコをどうしても買いたかった美穂は買い出し役を引き受け、3人を車中に残し上着も着ないまま財布だけを手に持って店に入った。地震で散乱した商品がところどころそのままになっていたが、普通に営業していた。その「お菓子の中で一番大好き」なジャガリコが、美穂を3人から引き離し、地獄の淵に誘う。

「死んでしまうんだ…」

地震発生から1時間10分後の15時56分頃だった。ジャガリコやおにぎりの入ったかごを持ってレジに並んだ。ふと外に目をやると、辺りが湖のようになっていて、何かが沢山流れている。訳が分からず茫然と眺めていると自動販売機や車が流れているのが見えた。「なにこれ」。恐怖が襲ってきた。駐車場に目を移すと豪志たちが乗っている車が浮きあがり、そして流され始めた。「どこに行っちゃうの、一人にしないで」

途方に暮れた。足元を見やると店にも水が入ってきていた。店員が出入り口のドアをロックし、外に出られなくなった。みるみるうちに水嵩が高くなっていく。どこか高いところに。咄嗟にそう思い、レジの台に飛び乗った。

皆は大丈夫なの?大会はどうなっちゃうの?私は今、どうすればいいの?――。レジ台の上で、さまざまな不安が頭の中を駆け巡った。

轟音と同時に体に強い衝撃を感じた。津波に流されたトラックがウインドウを突き破って店の中に突っ込んで来ていた。バスも見えた。あっという間もなく、濁流に呑み込まれた。息が出来ない。天井に頭がぶつかって、天井に迫った水面から顔が出せない。死んでしまうんだ。そう思った。

力強い腕と一本のストロー

その時だった。自分の体を捕まえてくれている力強い腕に気付いた。買い物客の男性だった。男性からストローを渡された。

「(流されないように)掴んでいるから、これで息をして」

津波は容赦なく何度も襲ってくる。異臭が鼻を刺し、悲鳴が耳を劈く。真っ黒な油にまみれた濁流に呑まれ、目は見えない。その中で、男性に励まされ、ストローを咥えて必死で息をした。左肩に強い痛みを感じた。動かそうとしても動かない。脱臼したようだった。

奇跡

豪志ら3人を乗せたセレナは、なす術もなく津波に流され、美穂が残るコンビニエンスストアから離れていった。が、およそ100㍍の地点で「奇跡」が起きる。

流されたセレナは近くの自動車修理工場の倉庫に吸い込まれ、激流から逃れることができた。ほっとしたのも束の間、大型トラックが猛烈な勢いで倉庫に向かって流されてくる。目の前に迫ったとき、トラックは倉庫の屋根に閊えて入口で止まった。止まっただけでなく、バリケードの役割まで果たしてくれた。

しかし、危険が去った訳ではない。車は浸水しその重みでセレナは半分以上水中に沈んでいる。ドアは水圧で開かない。車内の水嵩はどんどん高くなっていく。このままでは危ない。開くはずがないと諦めていたパワーウインドウのスイッチを押すと、するすると窓が開いた。物凄い勢いで汚水が車中に流れ込む中、3人は窓から脱出。流されてきていた車や瓦礫をいくつも乗り越えて、止まっていたトラックの荷台によじ登った。目に入る物の中で一番高い場所だった。

トラックの荷台から美穂とはぐれたセブンイレブンを探した。建物は水没しているように見えた。多分、助かってはいない。豪志は美穂の死を覚悟した。

恐怖と激痛と極寒の4時間

油に塗れた水の中にいたのは4時間ぐらいだったか。時間の感覚があまりない。終わることはないと思えるほどの、とてつもなく長い時間だった。寒かった。この日、仙台の最高気温は6.2度、最低気温は-2.5度。午後からは雪が降っていた。体は冷え切り感覚は失われていた。

水に浮かんでいる間も次々といろいろなものが流れてきた。人間も沢山流されてきた。目にするたびに恐怖に襲われた。生きているのか死んでいるのかもわからない。生きているとしても、どうすることもできない。阿鼻叫喚の生き地獄に美穂はいた。

トラックがコンビニの壁を突き破ってきたときに聞いた悲鳴が耳から離れない。体温は失われていく。自分もこのまま死んじゃうのかな。ここで終わりなのかな。何度も思った。

ツー君はどうしてるだろう。美保ちゃんは、舞子ちゃんは、無事かな。きっと大丈夫だよ。お父さんはどうしてるかな。お姉ちゃんは、妹は…。もう会えないのかな…。一緒に来た仲間の安否や家族のことが頭を巡る。ダーツのことも考えていた。こんなことになって、明日の大会はあるのかな。怪我したのは左肩から、大丈夫かな。いや、きっと投げられる…。

何度も同じ考えが浮かんでは消え、また浮かんでは遠ざかっていく。そのようにして寒さと恐怖と激痛の、長い長い時間は一息半歩の歩みのようにのろのろと流れていった。津波の中で、時間は止まってしまったようだった。

(つづく)


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○ライター紹介

岩本 宣明(いわもと のあ)

1961年、キリスト教伝道師の家に生まれる。

京都大学文学部哲学科卒業宗教学専攻。舞台照明家、毎日新聞社会部記者を経て、1993年からフリー。戯曲『新聞記者』(『新聞のつくり方』と改題し社会評論社より出版)で菊池寛ドラマ賞受賞(文藝春秋主催)。

著書に『新宿リトルバンコク』(旬報社)、『ひょっこり クック諸島』(NTT出版)などがある。