COUNT UP!

COUNT UP! ―― PERFECTに挑む、プロダーツプレイヤー列伝。
―― PERFECTに参戦するプロダーツプレーヤーは約1,700人。
彼ら彼女らは、何を求め、何を夢み、何を犠牲に戦いの場に臨んでいるのか。実力者、ソフトダーツの草創期を支えたベテラン、気鋭の新人・・・。ダーツを仕事にしたプロフェッショナルたちの、技術と人間像を追う。
2014年11月4日 更新(連載第45回)
Leg10
死線を彷徨ったあの日から3年余。復活へのアンダンテ
谷内太郎

Leg10 門川美穂(4)
死の淵からの帰還

COUNT UP!

門川夫妻に話を伺ったのは、2014年の夏の盛りの頃だった。夫妻に会うのは2回目だったが、取材は初めて。さいたま市浦和区のお好み焼き店の2階で、門川美穂が震災後の12年シーズンに準決勝を戦った試合のことから、インタビューを始めた。

続いて子供時代のこと、美穂と豪志が知り合った経緯(いきさつ)、ダーツを始めてプロになるまでの道程(みちのり)などを取材し、いよいよ話は3.11に及ぶ。

そのとき、それまでコーヒーを飲みながらインタビューに答えていた美穂が「ビール飲んでいいですか」と言った。美穂はかなりの酒豪で、2、3杯のビールで取材に影響がでるようなことはない。

ビールで唇を湿らすと、「震災のことをちゃんと話すのは初めてなんです」と言った。あの日のことはあまり思い出したくない。同情されるのも、被災者であることをことさら強調されて話題にされるのも嫌いだ。けれど、それがダーツやPERFECTの振興の役に立つなら、と取材を受けることを決心した。が、いざとなると、心がひりひりする。話し始めた美穂の手が震えていた。緊張が見て取れた。

死の淵での綱渡り

長く、凍えた夜は続いていた。
 絶え間ない余震に襲われるたび、目を背けようとしていた恐怖が何度も鎌首を擡げる。

津波に呑みこまれて4、5時間は過ぎていただろうか。水位が少し下がってきた。凍えながらストローで息を繋いでいた美穂は、浮かんでいた冷蔵庫によじ登って座ることが出来た。

そのとき、美穂の背筋は再び凍る。津波に襲われる前、店内には20人前後の人がいたはずだった。が、残っていたのは美穂を含め、男性1人と女性3人の4人だけだった。ほかの人たちはおそらく、流されてしまった。流された人々の末路は、すでに何度も目にしていた。

やっとの思いでよじ登った冷蔵庫は、暖かかった。なぜかは解らない。停電もせず、冷蔵庫の電源コードがコンセントから抜けもせずに浮かんでいたのか。それとも冷え切った体が、微かな温もりを敏感に受け止めたのか。とにかく、美穂は極寒の中、奇跡的に暖を取ることができた。暖と言っても、水中で凍えていたときに比せば、ほんの少し暖かかったということに過ぎない。それでも、その温もりが美穂を死の淵から引き戻した可能性は大きい。

缶飲料の保温器も浮かんでいた。温もりの残った缶コーヒーを4人で順番に回して暖をとった。時間は解らない。すでに真っ暗だった。ガスが漏れているのか、店の中には異臭が充満していた。誰も携帯を持っていなかった。外の世界から閉ざされ、誰もが正常ではいられない状況だった。黙っていると恐怖と不安に押し潰されそうだった。

「そのときは、開き直ったんですよ」と美穂は言う。「なんか面白い話をしましょうよ」。そんな言葉を発して、自己紹介を始めた。ダーツのプロプレイヤーなんです。明日仙台である大会に出るために東京から来たんです――。たわいもない話をしながら、豪志らとはぐれ、一人ぼっちになってしまった挙句、死の淵で綱渡りしているような孤独と恐怖を、束の間でも忘れたいと願った。

泣き方も忘れてしまいそうな夜

豪志と竹下舞子、岩永美保の3人は、トラックの荷台で終わらない夜を過ごしていた。びしょ濡れの体に氷点下の外気と雪。飢えと渇き。安否の知れない美穂。泣き方を忘れてしまいそうな最悪の状況は続いていた。

数時間前、荷台に避難してしばらくたった頃にクロス・ダート・ディビジョン社長の入江高伸から携帯に電話がかかってきた。津波は水が引く時が一番危ない。近くに高い建物があれば避難しろ。なければ、流されないように何かにつかまっていろ――。入江は津波の対処法を的確に伝えると、門川から現在地の特定につながるヒントや状況を訊き出し、救助を当局に働きかけた。

濡れた体に雪は容赦なく降りかかってくる。凍える体をぶるぶる震わせながら、どうすることも出来ずただ救助を待ったが、救援は来ない。ばかりか、人が流されてくる。中年の女性が一人流されてきた。3人で引っ張り上げて助けた。

年老いた母と中年の息子が乗った自動車が流されてきた。息子は自力で脱出したが、車は母を乗せたまま流されていった。息子だけが豪志らがいたトラックの荷台に逃れた。美穂とはぐれた豪志たちと母を一人にしてしまった男性…、途方もなく重苦しい空気に包まれた。

津波発生から9時間。日付が変わろうとする頃、一緒にいた男性が荷台を降りて探索に出かけた。水位は腰の高さぐらいまで引いていた。近くに避難できそうな場所を見つけて戻って来た。5人で腰まで海水に浸かって移動した。セレナが吸い込まれた工場だった。車もあった。

工場には20人ぐらいの人が避難していた。沢山あった作業着に着替え、寒さを凌いだ。しんとした建物の中にラジオの音が流れていた。絶え間なく続く地震と津波のニュースに耳を傾けた。アナウンサーが仙台の砂浜に200人近くの遺体が上がったと伝えた。地元の人に尋ねると、すぐ近くだと言った。やはり、美穂は生きていないだろう。豪志は再び美穂の死を覚悟しなければならなかった。安全は確保できたが、地獄は終わりではなかった。

一条の光

セブンイレブン。美穂が海水に浮かぶ冷蔵庫の上に這い上がって数時間が過ぎた頃、外から誰何(すいか)する声が聞こえた。
「誰かいますか。大丈夫ですか」
「います。4人です」
 声を振り絞って返事をすると、男性2人が泳いで店の中に入って来た。近くに取り残されている人がいないか探索する、地元の人々だった。
「近くに工場があるから、そこに避難して着替えましょう」

男性は怪我をしていた美穂を背負い、泳いで近くの自動車工場まで運んでくれた。工場には作業着がたくさんあった。どれでも適当に使って。避難していた工場のスタッフが言った。セブンイレブンでともに死線を彷徨った女性が着替えを手伝ってくれた。着替えると、体を寄せ合って寒さを凌いだ。死の淵から生還することができた。

工場には10人ほどの人々が避難していた。整体師の男性がいて、脱臼した肩を入れてくれた。皆、怪我をした美穂を気遣い優しく接してくれた。親切は身に染みたが、地元の人ばかりで、話していることはよく理解できなかった。

情報は何もなかった。停電で建物の中は漆黒に包まれている。余震が続き、外からは時折人の叫び声やクラクションの音が聞こえてくる。豪志らは生きていると信じていたが、知らない人たちに囲まれ孤独だった。自分は助かった。でも、豪志らの安否の知れぬ不安と孤独で、心は張り裂けそうだった。

しかし、そんな状況の中で、美穂は信じ難い明るさを披歴する。「せっかく助かったんだから、生きていることを楽しみましょうよ」。そう言って、自分が住んでる町や家族のことを話始めた。何を話したか、何を聞いたかはよく覚えていない。が、とにかく話し続けた。

セブンイレブンの店長が話しかけてきた。「門川さんですよね」
「えっ、どうして知ってるんですか?」
「(動画で)見たことあります」
 地震の前に豪志と立ち話をしていた店長は、ダーツのファンだった。一緒にいた人たちに、美穂をプロのダーツプレイヤーと紹介し、美穂にサインを求めた。美穂は求められるまま、店長にサインを書いた。

「ほかの方はどうされたんですか?」
「私一人で買い物してたら、車は流されちゃって、どこにいるかわからないんです」
「セレナですよね。流されたけど近くにありますよ。明るくなったら、見てきますね」
 漆黒の闇夜に、一条の光が差し込んだ。

「生きてるよーー」

空が薄く白んできた。外に様子を見に行ったセブンイレブンの店長が戻ってきて、美穂に言った。「やっぱり(車)あったよ。声をかけてみよう」
 3月12日の朝。6時ごろだった。

豪志らは自動車修理工場で朝を迎えていた。寒さと美穂の安否の知れない悲しみで一睡も出来ず、食べ物も飲み物も喉を通らなかった。

「門川さーーん」
 外から男性の声が聞こえた。返事を返した。すると、別の声が返って来た。
「生きてるよーー」
 美穂の声だった。
「そっちは大丈夫~?」
「みんな無事だよ~」
 50㍍ほどの距離を隔て、夫妻は顔をくしゃくしゃにしながら互いの無事を喜び合った。

「車から荷物取って来るけど、なんか欲しいものあるか」
 豪志は大声で美穂に訊ねる。
「ダーツ」
「ダーツ?」
「だって、大会あるかもしれないでしょ」
「ない」
「あるでしょ。脱臼したのは左肩だから大丈夫だよ」
「ない」
 美穂と豪志、竹下舞子と岩永美保の4人に笑顔が返って来た。

L-style・芹澤の奮闘

仙台空港にほど近い、門川らの被災地に自衛隊の救援がやって来たのは、12日の午後1時頃。被災から22時間後のことだった。避難所となっていた近くの小学校に搬送され、毛布にくるまり、ストーブの火にあたった。

避難所で支給された冷凍のちゃんぽんをストーブの上で温めて食べた。生き返った。塩むすびに、粉々にしたポテトチップを塗して焼いた。美味しかった。

避難所に移って12時間ほどたった深夜、フライトメーカー・L-styleの社長、芹澤甚太が4人の救援にやって来た。出張先の中国で地震の一報を聞いた芹澤は、すぐに関空に飛び、そこから仙台まで車を飛ばした。

ダーツの総合商社フェリックス社長の福永正和やクロスの入江らは、インターネットのブログで被災した門川らや、安否確認ができないPERFECT所属のプレイヤーらの情報を逐一流し、選手救出のためのネットワークを広げていた。その情報網がいきた。

深夜に芹澤の運転する車で避難所を後にした4人は、山形のダーツ関係者の家で一泊。翌13日、新潟へ向かい新幹線で帰京した。芹澤は新潟まで4人を送り届けると、その足で引き返し、陸の孤島と化した仙台に取り残されたプレイヤーを救出した。震災の直後から、一丸となって選手の救出に汗を流したPERFECTおよびダーツ関係者の奮闘は、日本ダーツ史の外伝に、長く記憶されることになる。


13日午後11時頃、門川夫妻は東京に帰って来た。地獄で拷問を受けているかのような3日間だった。悪夢は終わった。と思った。が、終わりではなかった。

(つづく)


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○ライター紹介

岩本 宣明(いわもと のあ)

1961年、キリスト教伝道師の家に生まれる。

京都大学文学部哲学科卒業宗教学専攻。舞台照明家、毎日新聞社会部記者を経て、1993年からフリー。戯曲『新聞記者』(『新聞のつくり方』と改題し社会評論社より出版)で菊池寛ドラマ賞受賞(文藝春秋主催)。

著書に『新宿リトルバンコク』(旬報社)、『ひょっこり クック諸島』(NTT出版)などがある。