COUNT UP!

COUNT UP! ―― PERFECTに挑む、プロダーツプレイヤー列伝。
―― PERFECTに参戦するプロダーツプレーヤーは約1,700人。
彼ら彼女らは、何を求め、何を夢み、何を犠牲に戦いの場に臨んでいるのか。実力者、ソフトダーツの草創期を支えたベテラン、気鋭の新人・・・。ダーツを仕事にしたプロフェッショナルたちの、技術と人間像を追う。
2015年3月30日 更新(連載第54回)
Leg12
I’ll be back! PERFECTという場に、そして再び栄光の玉座に
山田勇樹

Leg12 山田勇樹(2)
「胃がんです」

2014年シーズンの開幕当初、山田勇樹は目標を見失っていた。年間王者2連覇の後、目標を聞かれても「3連覇」としか言うことがない。さらに上をと思っても、日本最強と自負するPERFECTの年間王者以上の目標は見当たらない。以前には確かにあった強烈なモチベーションが湧き上がってこない。山田はそんな自分に喘いでいた。

「俺、もうだめなの?」

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2014年1月、山田はTiTOのアルバイト時代も含め10年間勤めた株式会社フェリックスを退社し、独立した。ダーツプレーヤーのマネージメント会社には入らず、自ら社長兼プレイヤーとなり、新たな一歩を踏み出した。

「独立するのだから、健康管理も仕事のうち」。19歳のときに知り合い、PERFECT開幕の年に結婚した妻が、独立の祝いに人間ドッグの健診を申し込んだ。3月のことだった。

10日に健診を受け、3月下旬に病院で健診結果の説明を受けた。
 「胃がんです」
 医師から、あっさりと告知を受けた。

すぐに検査の日々が始まった。
 「俺、もうだめなの?」
 「転移したら終わり…」
 がんという言葉に慄き、幾晩も眠れぬ夜を過ごした。底のない海に、心が体ごと沈み込んでいくような日々が続く。ダーツのことさえ、頭から完全に消えてしまうこともあった。

が、沈み込み続けてはいられなかった。独立したばかりで、家族4人の生活が山田の肩に圧し掛かっている。営業のイベントはキャンセルし、PERFECTだけは出場しよう。そう心に決めた。

しかし、がんはそれほど甘くなかった。「初期で、がん自体は大きくないから、切れば大丈夫。けれど、進行が速いがんだから、すぐに手術を」。医師の言葉には、有無を言わせない響きがあった。

山田は3月30日のPERFECT第3戦神戸大会の欠場を決断する。仕事で迷惑はかけられない。スケジュール管理や営業の仕事のマネージメントも自分の仕事。スケジュール帳を埋め尽くしていたイベントをキャンセルするお詫びの電話は、すべて自らかけた。

「絶対に戻って来い」

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妻からプレゼントされた人間ドックの日から丁度1カ月後の4月10日、山田は胃を蝕んでいたがん細胞を摘出する手術を受けた。開腹はせず、腹部に小さな穴を開け、そこからガスを送り込んで腹部に空間を作り、内視鏡でがん細胞を切除する、腹腔鏡手術だった。

手術は成功した。幸い、もっとも恐れていた転移も見つからなかった。「一刻も早く戦いの場に戻る」。強い決意で、山田は闘病の時間を過ごした。その間、PERFECTの戦場で切磋琢磨してきたプレイヤー仲間や、メーカーやスポンサー、ファンの人々が見舞いに訪れ、電話や手紙、メール、LINE、facebookのメッセージなど、さまざまな手段で山田を勇気づけた。スポンサーからの「休んでる時も戻ってきてからも、いつも応援するから」という言葉に感謝し、プレイヤーからの「絶対に戻って来い」という言葉に感動した。

手術から2週間。退院した山田は、すぐにダーツを握る。

王者の復帰

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手術から僅かに26日後の5月6日、驚異的な回復を見せた山田は、地元福岡開催の第5戦で戦いの場に復帰する。開催地が遠ければ欠場のつもりだったが、「会場は福岡、何かあればすぐに病院にいけばいい」と判断しての、強行出場だった。

結果はベスト16。4回戦で、その日準優勝の浅田斉吾に敗れた。練習を再開して10日余り。優勝など全く考えず、デビュー戦のような「気楽な気持ち」で戦っての結果だった。

そして8月、復帰第5戦目の第10戦横浜大会で、山田は決勝の舞台に立った。ファンが待ちに待った王者復活の時が近づいた。

この日、「調子は普通だった」と振り返る山田は、決勝トーナメント序盤を順当に勝ち上がると、復帰後の鬼門だったベスト16で、14年季開幕戦で初優勝した樋口雄也を、準決勝では復帰第1戦の第5戦福岡と第6戦横浜の準々決勝で苦杯を喫した浅田を下し、決勝に駒を進めた。試合を重ねるにつれ、山田の調子は上向いていく。

迎え撃つのは、前々戦、前戦を連勝し波に乗る知野真澄だった。

ZOOM UP LEG

2014 PERFECT【第10戦 横浜】
決勝戦 第1セット 第3レグ「501」

山田 勇樹(先攻)   知野 真澄(後攻)
1st 2nd 3rd to go   1st 2nd 3rd to go
T20 T20 T20 321 1R T20 T20 T20 321
T20 S20 T20 181 2R T20 S20 S20 221
S20 T20 T20 41 3R T20 S20 T20 81
S9 OB D16 0
WIN
4R
OB=アウトボード

山田先攻の第1セットは、1、2レグを両者キープし、第3レグを迎える。

先攻の山田は第1RでいきなりTON80。3本のダーツをボードから外すと、何事もなかったかのように控えに戻った。対する知野も、当然の如くにTON80を返す。会場は一気に緊張を増した。

第2R。山田がトリプル、シングル、トリプルで140ポイントを削ると、知野の2本はシングルとなり100ポイント。40ポイントの差がついた。このとき、山田には知野のポイントは目に入っていない。ただ、自分のダーツとポイントだけに集中していた。

第3R。山田は再び140ポイントを削る。が、知野も140ポイントで喰らいつき、差は変わらない。残りは山田41ポイント、知野81ポイント。ミスした方が負けの戦況となり、第1セットはクライマックスを迎える。

第4R。1投目にシングル9をアレンジした山田の2投目はアウトボード。しかし、山田は表情一つ変えずに3投目、2本目のセットショットをD16に突き刺し、12ダーツでWIN。第3レグを制し、第1セットをキープした。

取り戻した情熱

COUNT UP!

早期発見で治癒する人が増えつつあるものの、がんは未だに「死病」のイメージが纏わりつく重たい病気である。がんの告知を受けたとき、多くの人は死と直面することになる。
 かつて、私(著者)はがんを体験した、塩川正十郎・元官房長官や漫画家の里中満智子さんら著名人20数人をインタビューし、がんがその人の人生にとってどのような出来事であったのかを物語にして出版したことがある。
 そのとき、すべてのインタビュイーに、がんを体験したことによって、ものの見方や考え方が変わったかどうかを訊ねた。一代で功成り名を遂げたほとんどの人が「変わった」と口を揃えた。がんを体験することは、その人の人生にとってそれほど大きな出来事である。

山田にも同じことを訊ねた。
 「変わった」
 と答えた。

「それまでは、やりたいことがあっても、いつかやろう、と思っていました。が、今はそうは思いません。明日はどうなっているかわからない。病気になるかもしれない。やりたいことは直ぐにとりかかるようになりました。家を建てよう、店が欲しい、そう思い、すぐに準備に取り掛かりました」

2014年シーズンの開幕当初、独立したばかりだったにもかかわらず、失くしてしまっていた3連覇への情熱も取り戻した。絶対に王者を死守する。強い気持ちで、山田はPERFECTに還って来た。

そして、さらなる高みへ。胸に秘めた新たな目標も手に入れた。

(つづく)


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○ライター紹介

岩本 宣明(いわもと のあ)

1961年、キリスト教伝道師の家に生まれる。

京都大学文学部哲学科卒業宗教学専攻。舞台照明家、毎日新聞社会部記者を経て、1993年からフリー。戯曲『新聞記者』(『新聞のつくり方』と改題し社会評論社より出版)で菊池寛ドラマ賞受賞(文藝春秋主催)。

著書に『新宿リトルバンコク』(旬報社)、『ひょっこり クック諸島』(NTT出版)などがある。